神聖なるもの、それは人が造りしもの

宗教的シンボルを平然とANIMEに使う日本人の神経!
例えば『ゼルダの伝説 時のオカリナ』にイスラム聖歌が出てきて、それに対してイスラム教徒から抗議があって、任天堂がそこを取り除いた事件がありました。任天堂Wii向けのある格闘ゲーム、それから同機種向けの近日発売予定のゲームでも似たような騒ぎがありました。(登場人物のひとりが「神は偉大なり」とアラビア語で叫ぶ場面がある)

国と国との文化の違いにあれこれ言えないように、宗教もまた、どの作品でどう使われようと、とやかく言われるものではないのが基本だと思います。

その「シンボル」に神聖なものが宿っているかどうかなど、人によって思いは違うのですから。


そういえば、映画「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」で、鳥居で人が首つりにされている場面があり、神社本庁など神社関係者が抗議し、制作側が映画の予告編やポスターなどを作り直した、という事件もありました。

いわゆる「神聖な鳥居への冒涜」だというのです。

私としては、そうかな?という感じですが、許せない人にはどうにも許せない。

所詮、鳥居も人の造りしもの。そこに何か神聖なるものが宿っているかどうか、それは見る人によって違う。そこに「神」など、本来いない。


そういったことを気にしながら、アニメ作品なり何なり製作するというのは、困難極まりない。
というか、無理。