アインシュタインの言う「宗教」とは?
「宗教は子どもじみた迷信」=アインシュタイン、手紙で指摘
「宗教は子どもじみた迷信にすぎない」。物理学者アインシュタインが知人にあてた私信で、自身の宗教観をこう表現していたことが明らかになった。この手紙は今週、ロンドンで競売に出される。落札額は8000ポンド(約160万円)と見積もられている。
ドイツ語で書かれた手紙は1954年1月3日付。宗教に関する著書を哲学者エリック・グートキンド氏から贈呈されたアインシュタインは同氏への返信で、「わたしにとって『神』という言葉は人間の弱さの産物という以上の何物も意味しない。聖書は原始的な言い伝えで、非常に子どもっぽい」と述べた。アインシュタインはユダヤ系だが、ユダヤ教の選民思想も否定する見解を示している。
この記事を元に、「宗教なんてガキ臭い迷信信じるバカいねーよ」などとスレッドを立てて騒いでいる掲示板がありますが、記事をよく読んでもらいたい。
そもそも、この手紙が本人のものかどうか真偽の程が分かりませんが、仮にそうだとしても、アインシュタインが言っているのはキリストの「神」であり、子どもっぽいのは「聖書」であると言っている。
で、この時事ドットコムの記事は、それをひとまとめにして「宗教」とタイトルにしている訳です。
それは、かなり強引ですね。
アインシュタイン本人は、宗教というものには非常に高い関心を寄せていた。
彼は、宗教に3段階あると述べている。
第1は、原始的な「怖れの宗教」。
たたりを与える神を想像し、いけにえを供えて、機嫌をとるたぐいだ。文化的に多いのが、第2の段階。人格神を説く「論理的宗教」である。
しかし科学の発達により、病気や遺伝など、種々の因果関係が明らかになるにつれ、神の意志が働く余地は全くないとの確信は深まる一方だ、と彼は言っている。
さらに、天動説や進化論など科学の領域に、独断的な神話を持ち込む人格神の概念が、宗教と科学の抗争を生んできた、と結論付けた。
第3段階の宗教とは、神の概念のない「宇宙的宗教」だと言い、因果律に立脚し、科学とはなんら矛盾しない仏教に多大な関心を寄せている。
(名句名言のウラ側:アインシュタイン)
そして彼の得た結論は何だったか。
「人生の意義に答えるのが宗教だ 」(『私の世界観』)
だったようだ。
むろん、ここでの「宗教」には、子どもっぽい「聖書」は含まないのであろう。
祈りで直せなかった病 ・・・そして死
祈れば治る、医者に診せず少女死亡 米ウィスコンシン
米国で糖尿病による昏睡(こんすい)状態に陥った11歳の少女が、両親が信仰している宗教の祈りの力で治せると信じて病院に連れて行かなかったことから、治療可能な状態であったにもかかわらず死亡した。
死亡したのはウィスコンシン(Wisconsin)州郊外に住むマデリン・カーラ・ニューマン(Madeline Kara Neumann)ちゃんで、検視解剖の結果、糖尿病による昏睡状態から呼吸停止に陥り、23日午後2時に死亡した。
この話には続きがありそうです。
「神に祈れば、死んだ娘も生き返る」とか何とかで。
日本にも似た事件はいくつもあった。
有名なのは、真光が盲腸炎の人を「祈りで直す」と言いながら、死なせてしまったことがある。
現世利益に大きな意味を持たせると、信仰はとんでもない方向へ動き、大切な命を奪ってしまうことになるのか・・・。
真光で思い出したが、「死んだらどーなる」というマンガを見た。
死相で来世が決まるという典型的パターン。いやになってくる。
親鸞は、往生は死相とは全く関係がないと説いた。死に様は、本人が制御することができないものだ。
制御できないからこそ、それを信仰の力で決めさせようとするのも、上の現世利益を求めるが故の悲劇を生むかもしれない。
マインドコントロールと株式投資
株式投資は宗教なのか?
いろんな株式投資家やネット・トレーダーのブログを読んでいて思うのは、株式投資というのは宗教なのだと言うことです。
もうそこには、お金が儲かるとか損するとかと言うものを超えた何かがあると言う他ありません。
世界がキリスト教、仏教、イスラム教に分かれているように、株式投資にも大きく分けてみっつの宗派があるようです。
そして各宗派の信者たちは日々自分の信仰を広めようと活動しているみたいです。
どんなものでも「宗教」扱いはできると思うが、株式投資についてはその色合いが強いのかもしれない。
投資には、自分自身を「マインドコントロール」しないといけない、という記事も見た。
株式投資で必要なマインド・コントロールとは?【森田レポート】
株式投資で勝つためには、常に平常心で投資をすることです。本日は平常心でいるために必要な『マインド・コントロール』について、レポートします。
また、経済の現場では、日常的にマインドコントロールがなされているという指摘もある。
「ミナミの帝王」などが有名。
ミナミの帝王に学ぶ ビジネス現場でのマインドコントロール手法
「マインドコントロールとは何か」という、本で、人間の情報処理について論じられている部分で「人間の情報処理・5つの特徴」というものがあります。
この本にも書かれていることですが、人間の情報処理・5つの特徴を利用したものは、世の中にいろいろあふれています。
とくに、セールスの現場では同じようなことは当たり前のようにされているのです。
心を制御しなければならないもの、それは既に「宗教」なのかもしれない。
そうさせるのが、「他人」であろうと「自分」であろうと。
責任がとれる「おはらい」はあるのかどうか
恵方巻き用のり おはらい拒否 北海道神宮 「食中毒、責任取れぬ」
節分の縁起物「恵方巻き」の御利益を高めようと、生活協同組合コープさっぽろ(札幌)が北海道神宮(札幌市中央区)に依頼した、のりのおはらいが同神宮に拒否されていたことが一日、分かった。「万が一、食中毒が出た時に責任が持てない」と主張する神宮に対し、生協側は「安全性には細心の注意を払っており、問題ないのに…」と困惑。食の安全への関心の高まりが、おはらいにまで思わぬ影響を及ぼしたとも言えそうだ。
同生協が恵方巻きに使うのり約十万枚のおはらいを依頼したのは一月十九日。二○○四年から毎年おはらいを受けており、事前に相談せず、同神宮に持ち込んだ。
とろが、同神宮は「今年はできない」と拒否。「食中毒が起きても責任を取れない」「神宮がのりを委託販売しているような誤解を招く」などと理由を説明した。
毒入りギョーザではないが、食中毒が盛んに問題にされている。
だから、お払いはしたくない、というのも分かる。
しかし「責任がとれる」おはらいが存在するのかどうか、全くもって疑問である。
「耐震強度の責任が持てないから、竣工式のおはらいはやめる」
「打ち上げ成功するかどうか分からないから、ロケットのおはらいはやめる」
「合格できるかどうか責任が持てないから、おまもりのおはらいはやめる」
何とでも言えそうだ。
寺院の後継者不足から宗派あげての結婚斡旋業
除夜の鐘、自動鐘つき機で「ゴ〜ン」? 後継難で急増
無人で鐘を突く機械式の撞木(しゅもく)を採り入れる寺院が増え、今や全国約1600カ所に広がっている。住職が高齢化したり、過疎化で後継者がいなくなったりする突き手不足の中、地域の鐘の音を守りたい住民らの願いがのぞく。タイマーで動く撞木を唯一、製造しているのは奈良市の上田技研産業。日本人の「心のふるさと」を消すまいと、除夜の鐘を控えた年の瀬、駆け込み需要に追われる日々だ。
寺の後継者不足は深刻。
浄土真宗本願寺派は、「Net縁」なる「結婚斡旋業」まで始める状況。
問題は、「なぜ寺院を続けねばならないのか」→「仏教を伝道しなければならない理由」が、明確にされないこと。
日常の生活の中に、信仰があるはず。
日々、人々の人生に仏の道を問わなければ、寺が存在する意味も無くなるだろう。
角筆の発見で、新たな教学の流れが生まれるのか
親鸞:LED光に「コード」浮かぶ…「教行信証」書き入れ
浄土真宗の開祖、親鸞の思想を伝え、あまたの研究者や門信徒が一字一句まで読み込んできた根本聖典「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」に、未知のメッセージが隠されていた。親鸞自筆の国宝「坂東本(ばんどうぼん)」から見つかった親鸞コード(符号)とも言うべき、角筆(かくひつ)による書き入れは、仏教界だけでなく、数多くの文学者、思想家を魅了する巨人の思想の知られざる一面にも光を当てそうだ。
800年の時を隔てて蘇った親鸞の直筆?
教学研究に、新たな道を見いだした報道である。
しかし、実際に墨で表さなかった文字であるならば、親鸞としては見てもらいたくないものなのでは?と思ったりもした。
しかし「角筆」は、当時では一つの筆記具でありメモとして使われたようで、もしかしたら親鸞の、正に「肉声」かもしれない。
『観無量寿経註』は、経文の行間に「これでもか!」という程の、まるでメモ書きのような激しい書き込みで一つの註釈本が成立している。
それが「角筆」でなされたと考えても、おかしくないかもしれない。
親鸞会では教行信証に重きを置くそうだが、今後の「角筆」研究についてはどう考えるか。
「親鸞が私たちに問いかけてきたようだった。『私の考えをきちんと理解しているのか』と」
この学長の言葉の通り、これを機に、再び聖教に向かいたい。
冒涜のつもりは無いが、「逮捕」
テディベアに「ムハンマド」と命名、英国人教師が預言者を冒とくしたとして逮捕
スーダンの首都ハルツーム(Khartoum)で、学校の授業でクマのぬいぐるみ「テディベア」にイスラム教の預言者ムハンマド(Prophet Mohammed)と同じ名前を付けさせ、預言者を冒とくしたとして拘束されていた英国人女性教師が26日、むち打ちの刑か国外追放処分を受ける可能性が高まった。
ギリアン・ギボンズ(Gillian Gibbons)さんは25日、英語学校に通っていた6歳の児童たちに対しクマのぬいぐるみをムハンマドと名付けさせ、この事実を聞いた両親からの訴えにより、スーダン警察に逮捕されたという。
郷に入れば郷に従え。
イスラム教圏は、特にこういったことに厳しい。
それがイスラムを知らない外国人だろうが、関係ないということがよく分かる。
……というか、教育者としてならば、余計許せなかったのだろう。